長嶋さん名言集


◆長嶋さん語◆

「プロというのは夢を売る商売ですよ。」

◆長嶋さん語◆

「ファンの拍手のおかげでここまでこれたんですよ。拍手の後押しが無ければとっくに打てなくなっていたかもしれません。」

ファンを大切にする長嶋さんらしいお言葉です。

◆長嶋さん語◆

(デビュー戦での四連続三振について)「悔しかったさ、そりゃもう。でも、あれほどいい三振もなかった。あれほど生きた三振というのもなかった。」

◆長嶋さん語◆

「俺はフォームで打つバッターじゃない。気力で打つバッターだ。」

◆長嶋さん語◆

「辞める時はスパッと辞めるかもしれない。散り際にパッと咲いて・・・。」

◆長嶋さん語◆

(ホームランを打った後で記者に意地悪な質問をされて)「村山君の球はスピードがなかった?とんでもない。実にスピードが乗っていた。」

勝負に勝っても驕らず、敗者を決して辱めず称える。人格者・長嶋さんらしいコメントです。長嶋さんにとってグラウンドは魂と魂のぶつかり合う神聖な場所だったのでしょう。

◆長嶋さん語◆

「悔いを残す野球人生で終わりたくない。執念の燃えカスが残っている限り、最後の最後のカスまでポッポと燃えているうちは、この一か八かの勝負の世界に挑戦する。」

◆長嶋さん語◆

「監督の役割で一番重要なのはキャスティングです。」

◆長嶋さん語◆

「う〜ん、どうでしょう」

◆長嶋さん語◆

「いわゆるひとつの」

◆長嶋さん語◆

「メイクドラマ」

◆長嶋さんのウィスパーカード『ぼくに会いたい人いる?』(昭和35年の明治ナッツキャラメルのホームランプレゼント景品ラッキー賞。長嶋選手の声が聴けるブロマイドより)◆

「ぼく、ジャイアンツの長嶋です。キミ、お元気?お家の皆様もいつも御声援ありがとう。こうしてぼくのブロマイドがみなさんの勉強疲れにいくらかでもお役にたっているかと思うと幸福です。いやあ、ノートを閉じて2人でしばらくおしゃべりでもしましょうか。その前にぼくの大好きなこの曲をお聞かせしましょう。さて、なにからお話しようかな。兎に角、よもやま話といきましょう。ぼくのベース一周のタイムはどのくらいだと思いますか?まあだいたい14秒ぐらいです。そのベース一周で思い出したんですけど、いつの日だったかホームランをかっ飛ばしたのはいいがうっかりと一塁ベースを踏み忘れて一喜一憂しホームイン。もちろんホームランは取り消し。アウトで自分ながら迂闊さに驚いたものです。まあ最大の失敗でしょうか。ぼくらの大学時代は大変な練習をやらされたものでした。陽が沈んでボールが見えにくいものだからボールにも石灰を塗って月の光でノックを受けたものです。グローブに受け損なった球を顔や体で受けるものだから生傷が絶えないものです。しかし、懐かしい思い出もありました。やがて学生時代からプロになったのですが、プロ最初の試合はぼくの一生最大の教訓です。というのは国鉄との試合だったのですが、あの金田さんの球は4回打席に入った4回とも全然ボールに当たらず三振。プロと学生との相違を痛感させられまた奮起への鞭ともなったものです。何事も上には上があるものです。現在の自分の力を過信したり甘えたりしてはダメですね。もっともっとお話したいのですが、ぼくの無責任な長話で君の宿題を忘れさせるようになってはいけないからこの辺でよしましょう。じゃあノートを開いて勉強を続けて下さい。ぼく、ファンの皆さんに恥ずかしくないプレイを続けていく事を誓ってお別れしましょう。じゃあ、さよなら。」

◆長嶋さん語◆

「(松村くんのことを)ブーちゃん」

◆長嶋さん語◆

「グラウンドは男の戦場だ」

◆長嶋さん語◆

「失敗は成功のマザー」

本当は「失敗は成功の母」と長嶋監督が答えたのに、 記者が見出し的にマザーと換えて脚色して記事にしたのが真相。

◆長嶋さん語◆

「(元木選手を評して)曲者」

◆長嶋さん語◆

「(当時の河野博文選手を)ゲンちゃん」

◆長嶋さん語◆

「(新球場名を命名!)サンマリンスタジアム」

◆長嶋さん語◆

「(高橋由伸選手のニックネームを頼まれて)ウルフ」

◆長嶋さん語◆

「ヘイ、カール!」

◆長嶋さん語◆

「結果が悪ければ天もファンも見限る。それが監督業。負けるのは監督が悪い。」

◆長嶋さん語◆

「乗れる状態に自分をもっていけるプレイヤーはやはり、超一流だと思うね」

◆長嶋さん語◆

「(バッティングとは?)瞬間的にパッと来ますから。こう決め、手がバッと来ますからね。このなんていうんですかね。魂の表れじゃないかと思いますね。」

◆長嶋さん語◆

「来た球を打て!」

◆長嶋さん語◆

「定石からはみ出た指揮系統をとらないとドラマは生めない」

◆長嶋さん語◆

「プレッシャーを楽しめるようになれば、その人は一流ですね。」

◆長嶋さん語◆

「僕は三塁のホットコーナーを守ってやってきた。三塁ベースは僕の恋人です。それが守れなくなったら潔く引退します。」

◆長嶋さん語◆

「もうひとりの長嶋をつくりたい」

◆長嶋さん語◆

「なにか一つのことに脇目も振らずに打ち込める時期を持てる人は幸せかもしれない。今の若い人達はのめりこめるものを見失っている。不幸な時代だとは思うけども、時代のせいにするのはどうかな。」

◆長嶋さん語◆

(村山実氏の訃報に)「アンフェアな投球を一切しない選手でした。天覧試合は伝説になってるがそれだけじゃない。堂々と小細工なしで真っ向勝負してきた。力と自信を持って直球を外角に投げ込んできた。投手としての美学を持っていた。僕も一番燃えてた時期で一投一打が何か魂のぶつかり合いのようでした。野球人村山実、野球人長嶋茂雄という対決でした。」

◆長嶋さん語◆

(FA宣言した清原に)「思い切って僕の胸に飛び込んで来て欲しい」

◆長嶋さん語◆

(昔書いていた色紙の言葉)「洗心」

◆長嶋さん語◆

「ぼくら、みんなの夢のピンチヒッターだ」

◆長嶋選手の引退ご挨拶(1974年10月14日)◆

「昭和33年、栄光の巨人軍に入団以来今日まで17年間、巨人ならびに長嶋茂雄のために絶大なるご支援をいただきましてまことにありがとうございました。皆さまから頂戴いたしましたご支援、熱烈なる応援をいただきましてきょうまで私なりの野球生活を続けて参りました。いまここに自らの体力の限界を知るにいたり、引退を決意いたしました。振り返りみますれば、17年間にわたる現役生活、いろいろなことがございました。その試合をひとつひとつ思い起こしますときに、好調時は、皆様の激しい大きな拍手を、この背番号3をさらに闘志をかきたててくれ、また不調のとき皆様の温かいご支援の数々のひとつに支えられまして今日まで支えられてきました。不運にもわが巨人軍はV10を目ざし、監督以下選手一丸となり死力を尽くして最後の最後までベストを尽くし戦いましたが、力ここに及ばず、10連覇の夢は破れ去りました。私は今日引退いたしますが、わが巨人軍は永久に不滅です。今後、微力ではありますが、巨人軍の新しい歴史の発展のために、栄光ある巨人が明日の勝利のために、今日まで皆さまがたからいただいたご支援、ご声援を糧としまして、さらに前進して行く覚悟でございます。長い間、皆さん、本当にありがとうございました。」

◆引退セレモニー後。(1974年10月14日)◆

「白い小さな怪物と格闘してきたんです。しかしジャストミートして会心の手応えで走り出すのに打球はことごとく野手の正面をついているんです。バットの根っこに当たっても人のいないところに飛んで行った打球が、いま野手の正面に飛んで行く。オレの打球は素直になってしまった。打球から執念が逃げてしまった。私もこの17年間にほんとにあのちっちゃな白いボールとたった1本のバットに運命と人生を賭けてやって来ました。その間の喜びや悲しみ嘆きや悔いもあのちっちゃな白いボールにすべての結晶に絡んでいるんじゃないかと、そういう心境です。私はファンの皆さんに“燃える男”と言われた。燃えるものはいつかは消えますし、その燃え方が激しければ激しいほど、消える時は壮絶で寂しい。感無量です。背番号3はボクのものではなくファンのものであったような気がします。ファンに預けます。」

◆第一期退任会見(1980年10月21日)◆

「二千万とも二千五百万ともいわれるファンの皆様に対して、成績が不本意であったという事で男としてけじめをつけ責任をとりたい。勝敗の責任は全て監督にある。選手コーチが悪いのではなく全て監督にあると自覚している。これまでしゃにむに野球に打ち込んできたので、これから自分の足元を直視しながら反省を加えこれからの人生をゆっくり考えてみたい。他意はございません。」

◆第二期退任会見(2001年9月28日)◆

「いつも1年勝負という形で、キャンプに臨む時には思いがあります。勝負の世界というのはある意味では過酷な面も持ち合わせている。それを承知の上で戦っているわけで、その中でベストを尽くして原君にはサポートをしていただき、感謝している。今の心境といえば、今日の天気のようにスカッとしています。(長嶋監督にとっての野球とは?)よく色紙に書かせていただいているのですが、『野球とは人生そのものだ』という一言に尽きます。」

◆ナインヘの退任のご挨拶(2001年9月29日)◆

「ジャイアンツの60有余年の歴史の中で、先輩から後輩へ後輩からまた後輩へと引き継がれることがありましたが、今また、その時期が来ました。思えば9シーズン、選手たちはそれぞれチームのためによくやってくれた。感謝しています。特にここ数年は、波乱万丈の戦いでした。40数年、ジャイアンツ一筋に生きてきましたが、これからはOBとして、陰で若い世代を見守りたいと思います。今年、力を出せなかった選手諸君もいると思うが、これが野球人だ。これがペナントだ。挫けてはいけない。来シーズン、新たな勝負に向かって夢と希望を持って頑張ってほしい。来年度、原新監督のもと、胴上げを見たいと思います。」

◆長嶋監督の最後のお別れの言葉(2001年9月30日)◆

「本日、観戦していただきましたスタンドのファンの皆さま、全国のプロ野球ファンの皆さま、2001年のペナントレース終了を持ちまして、巨人軍の監督を退任いたします。もちろん、あすの甲子園での1試合を残してはおりますけど、本拠地で最後のゲームを滞りなく終了させていただき、惜しくも敗退はいたしましたけど、ファンの皆さんにも納得していただけたと思います。  振り返り見ますと、93年、2度目の監督を拝命いただき、ジャイアンツファンの皆さまはもとより、全国のファンの皆さま方の暖かいご支援、愛情あふれるご指導、ご鞭撻をいただき、あらためて感謝申し上げる次第であります。  チームも60年余の数々の栄光を重ねてまいりましたが、来季からは若い世代の人たちのパワーに託しまして、球団のさらなる発展と繁栄を期待しまして、若い指揮者・原新監督にバトンを託すことにしました。  私は40数年も球界に身を投じ、もちろんファンの皆さん方から育てられ、さらに皆さまの愛情あふれるご支援をいただきまして、今日まで邁進することができました。しかし、我がチームはこれから若い指揮者のもとに一世紀に向けて邁進するチームでもあります。原新監督のもとに、スタッフのみなさん、選手諸君、そしてそれを支えてくださる多くのファンの皆さま方の支援をさらに頂戴し、来年、再来年と、限りなくチームが一世紀に向けて邁進することを一OBとして切なる思いで祈念しております。  ファンのみなさま方、我が巨人軍を愛していただき、さらに球界の繁栄・発展のためにご支援をいただければ幸いでございます。観客席の皆さん、全国のプロ野球ファンの皆さん、本当にありがとうございました。」

◆長嶋さんの名言について◆

長嶋さんの言葉はすべてなんの損得勘定も嘘もないまさに“魂の表れ”です。少しぐらいの文法や言葉の間違いなどはどうでもいいんです。そんな事よりも大切なのはいかに自分の真心が伝わるかという事です。いくら文才があったとしても、心がない上辺だけの言葉には誰も感動はしないし記憶にも残らないでしょう。長嶋さんの言葉はなぜか気持ちが伝わるというのも、そこになんの濁りも表裏もない純粋さや温かさみたいなものが根底に確かに存在するからです。周りを明るくしたり、時折ズバリ核心をついたりする長嶋さんの言葉こそ、名言とよぶにふさわしいものではないかと僭越ながら思うしだいです。

◆参考書籍◆

「長嶋茂雄 燃えた、打った、走った!(日本図書センター)」「嗚呼、我が心の長嶋茂雄(ラインブックス)」「伝説の長嶋茂雄語。(小学館)」

 


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